ガスミュージアム

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館内の見どころ

館内の見どころ

渋沢栄一ギャラリー

コーナー紹介

渋沢栄一ギャラリー

渋沢栄一ギャラリー

渋沢栄一が日本のガス事業の育成に尽力した足跡をご紹介するギャラリーです。
渋沢栄一は、明治7年(1874)、34才の若き頃から明治42年(1909)までの35年間にわたり、東京のガス事業を主導し、健全化に努めました。常に「公益追求」の信念を貫きながら、民間の力としてガス事業を成長させることで都市の経済と暮らしの繁栄を下支えし、近代都市東京の発展に大きく貢献しました。

歴史から知る

見どころ①

東京のガス事業を育てた渋沢栄一 公益追及の信念が導いた軌跡をたどる。

渋沢栄一肖像

渋沢栄一肖像

明治31年(1898)に撮影された、東京瓦斯株式会社取締役会長(現:取締役社長)時代の渋沢栄一、58才の肖像写真です。

写真「東京勧業博覧会 「瓦斯館」」

写真「東京勧業博覧会 「瓦斯館」」

明治40年(1907)に開催された東京勧業博覧会に、東京ガスが開設した展示施設が「瓦斯館」です。内部では国内外のガス器具の比較展示のほか、ガスで調理をしたお菓子の実演販売もおこなわれました。

写真「新聞記者に囲まれる栄一氏」

写真「新聞記者に囲まれる栄一氏」

昭和4年(1929)、東京ガスと行政との紛争が人々の間に広まったとき、打開のため、89才になった栄一氏が請われ、当時の商工大臣と面談し、調停役を担うこととなりました。写真は商工大臣と会見後、新聞記者に囲まれる栄一氏の姿です。

関連資料
写真「東京府瓦斯局 全景」

写真「東京府瓦斯局 全景」

東京府ガス局の全景を、明治11年(1878)頃に施設西側より撮影した写真です。場所は、現在東京ガス本社のある浜松町の地になります。

写真「飛鳥山渋沢邸宅」

写真「飛鳥山渋沢邸宅」

当初は、賓客をもてなす別宅として建てられた飛鳥山邸宅は、明治34年(1901)に本邸となりました。台所や照明にガスが利用されており、渋沢栄一は61歳から30年をこの地で過ごしました。

写真「大森町浜川往還36インチ鋳鉄管埋設の光景」

写真「大森町浜川往還36インチ鋳鉄管埋設の光景」

明治40年代のガス管の埋設作業風景です。すべて人力で作業をおこない、つり上げられているガス管の重さは、一本で1トンあまりの重量がありました。

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