渋沢栄一とガス事業 -「公益追求」実践の軌跡-
Episode エピソード3「都市の経済を力強く」
都市経済の発展をエネルギーインフラ増強と新技術利用で後押し
明治20年代に入ると、渋沢栄一が率いる東京瓦斯は、都市の発展に呼応する形で積極的な経営施策を展開し、経済の発展と企業の発展が両輪となった成長を遂げます。
85基の街灯から始まった東京のガス事業ですが、ガス事業が民営化されることで、独自に設備増強や営業を進めることが出来るようになるとその数を増やし、東京のガス街灯はピークの大正6年(1917)に、5,793基を数えるまでになりました。
需要拡大においては、街灯をはじめとした屋内外照明分野の普及拡大策に加えて、ガスを燃料とする新技術の動力源として、欧州から「瓦斯機関(ガスエンジン)」を輸入し、印刷機や織機、各種工場等の都市産業の動力・発電用途として利用拡大を図っていきます。
また、街の発展に伴う需要に応えるため、明治23年(1890)に千住の第二製造所の建設を決定し、明治26年(1893)から操業を開始、明治31年(1898)には、深川に第三製造所を稼働させます。
さらに、東京南部方面にガス供給網を広げるため、明治41年(1908)には大森に製造所を設け、鉄道の上にかかる品川八ッ山橋にガス管を渡し、大森付近では太いガス管に入れ替える増強工事などを行い供給量増加に対応していきます。