渋沢栄一とガス事業 -「公益追求」実践の軌跡-
エピローグ
生涯貫いた「公益追求」への思い
明治7年(1874)に束京のガス事業に関わってから35年、渋沢栄一は、古希を迎えたのを機に、明治42年(1909)6月に、他の多くの企業の役職とともに、東京瓦斯の取締役会長を降りました。
実業の世界より身を引いた栄一ですが、その後に東京のガス事業が行政などとの間に問題を抱えると、自ら解決のために両者の間に立つこともありました。
昭和4年(1929)、東京瓦斯は増大するガス需要に応えるため、設備投資に向けた資本増強を東京市に申請しますが、市側は増資を拒否するとともに、ガス料金値下げも強く要求してきました。市との紛糾は政府も巻き込む事態となり、その打開のため、89歳になった栄一が請われて、当時の俵商工大臣と面談し、市と会社との調停役を担うこととなりました。
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商工大臣と会見後、新聞記者に囲まれる渋沢栄一
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渋沢栄一 91才肖像「微笑」
龍門雑誌第522号より 昭和6年(1931)
結果的にはこのとき会社の増資は認められませんでしたが、市と会社との積年の紛糾は、一応の決着となりました。
栄一が、高齢にもかかわらず、市民のために身をていして動いたことは、栄一が公益追求への思いを生涯貫いたことを示す、貴重なエピソードです。
後の回想で栄一は、
「…人情づくで解決させたいと望んだのであった。殊(こと)に市民が毎日使用して居る瓦斯の問題であるから、裁定を主務省に求めると云ふような法律的な争いにならぬ為に調停しやうとしたのである。」
との言葉を残しています。
コラム1「渋沢栄一の家族と邸宅」
渋沢栄一が家族とともに暮らした住宅と、その建屋の中で使用されていたガス灯の姿を紹介します。
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飛鳥山邸宅にあった西洋館の前で撮影された家族写真。最後列中央にいるのが栄一。
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実業家として活躍を始めた頃に建てられた深川区福住町邸宅(現・江東区永代)
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深川邸宅の書生部屋。書生たちの頭上に裸火のガス灯が灯っています。
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日本橋川沿いに建設されたベネチアン・ゴシック様式の兜町邸宅。建築家辰野金吾による設計。
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邸内にはガス灯が灯り、夜には漏れ出た明かりが日本橋川の水面に映っていました。
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当初は、賓客をもてなす別宅として建てられた飛鳥山邸宅。明治34年(1901)に本邸となり、栄一は61歳から30年をこの地で過ごしました。
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邸内各所にはガス街灯が立てられていました。
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東京ガスが譲り受け、当ミュージアムで保管している飛鳥山邸宅のガス街灯頭部。