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東京の街~くらべる探検隊~ 第17回「浅草橋」

テーマ:     公開日:2024年05月25日

現在、ガスミュージアムでは企画展、井上安治生誕160年記念「ガス灯ともる東京風景」を開催しています。
近代都市として変貌しつつあった明治10年から20年の東京の風景を美しく写実的な表現で一世を風靡した絵師、井上安治の眼差しを通して探訪しています。

浅草橋夕景 明治13年(1880)

くらべる探検隊でも井上安治の作品はよく取り上げていますが、
今回はこの風景を探しに「浅草橋」に行ってみましょう!

JR浅草橋駅を降りると、人形屋、アクセサリーのパーツ屋、包装用品店、靴・バック屋
など、いろいろなお店が立ち並び、ついつい覗いてみたくなりますね~♪

早速、浅草橋に行ってみましょう。駅から2~3分歩くとすぐに浅草橋がありました。

浅草橋は、神田川にかかる橋で、国道6号(江戸通り)を通す橋です。

橋の近くに旧町名由来案内板がありました。
浅草橋という町名は昭和9年(1934)に茅場町、福井町等11の町が一つになり、
神田川に架けられた橋の名にちなんでいるそうです。

案内板によると、
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江戸幕府は、主要交通路の重要な地点に櫓(やぐら)・門・橋などを築き江戸城の警護をした。
奥州街道が通るこの地は、浅草観音への道筋にあたることから築かれた門は、浅草御門と呼ばれた。
また、警護の人を配置したことから、浅草見附といわれた。ここ、神田川に初めて橋が架けられたのは、
寛永13年(1636)のことである。
浅草御門前にあったことから、浅草御門橋と呼ばれたが、いつしか「浅草橋」になった。
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浅草見附跡の石碑も発見‼

案内板にも出てきましたが、「見附」(みつけ)とはどういう所だったのでしょうか?

見附とは、もともと見張りの番兵を置いた軍事施設で、江戸城では外堀に沿って多数の見附が配置されていたそうです。
赤坂見附、四谷見附といった地名は、その時の名残なんですね~。

こちらの写真は江戸時代の頃の浅草見附の様子です。浅草見附に架かる木橋が浅草橋です。

「浅草橋見附」江戸見附写真帖 1918 向陵社 (国立国会図書館デジタルコレクション)

その後浅草橋は、明治6年(1873)に木造橋を石橋に架け替えられます。施工は、技術の高さで知られた肥後の石工である橋本勘五郎でした。
勘五郎は数々の名橋を築いた石工一門で、東京では万世橋も手掛けています。

浅草橋夕景 明治13年(1880)

こちらが井上安治の明治13年の浅草橋を描いた作品です。
すでに石橋になってますね。
夕暮れの浅草橋と川面を描いています。この作品は安治のデビュー作といわれ、空や水面も表現は師である小林清親の影響を感じることができます。
夕焼けの浮かぶ薄紅の雲を際立たせるように、浅草橋や脇に立つ建物の表現はシンプルにまとめられています。

こちらは同じ方向から撮影した現在の浅草橋です。夕方近くですが、夕暮れと呼ぶには明るすぎますね。
神田川沿いには、ビルが建ち並んでいますが、屋形船のお店や船もたくさんあり昔の風景の名残があるように感じます。

逆方向の景色もご覧ください。
こちらは、浅草橋から下流方向を撮影したものです。少し先には、緑色の「柳橋」が見えると思います。その先は隅田川と合流します。潮の香りも漂ってきます。

これからの季節、屋形船でビールを飲みながら花火が見れたら、最高だろうな~と
思ってしまいました。。。

他の作品も見てみましょう。
こちらは、明治16年(1883)に鉄橋へ架け替えられた浅草橋の北側から下流方向を眺めた風景です。

東京真画名所図解 浅草橋  井上安治 明治16~22年(1883~89)

橋上には鉄道馬車をはじめ、行き交う人々の姿が描かれ、賑わいを感じさせてくれます。
構図の中に大きく取り上げられているのが、橋の四隅に建つガス街灯です。
当時最先端の技術で架けられた鉄橋の姿と共に、存在感を持って描かれています。

こちらは同じ方向から撮影した浅草橋です。
本当は、もう少し引いた状態で撮影したかったのですが、堤防が高く、近くからしか撮れませんでした。。。

現在の浅草橋は、昭和5年(1930)に関東大震災の復興計画により当時の最新技術を駆使して建設されました。

最後は、浅草橋が舞台の井上安治のとっておきの作品をご紹介しましょう!

浅草橋雨中之景 井上安治 明治14年(1881)

浅草橋南脇から延びる、柳原通りを眺めた風景が描かれています。当時は浅草橋脇から延びる柳橋通りは、秋葉原から神田を結ぶ主要な通りでした。
大判の雨中の風景を描いたこの作品は、地面の水たまりにガス燈や提灯の明かりを異なる色の光が落ちる様子として描き分け、情緒のある夕暮れの雨の光景を表現しています。

水たまりに映る、ガス燈と提灯の色の違いに着目した、井上安治の観察力は凄いですね。

同じ場所の現在を見てみましょう!

柳原通りの両脇は大きなビルが建っています。右側は学校です。

150年の月日を経て、神田川沿いに比べると、昔の面影は全くありませんね。

今回の東京の街~くらべる探検隊~「浅草橋」は、現在開催中の企画展より井上安治の作品と比べてご紹介いたしました。

井上安治は他にも明治初期の東京の街の風景をたくさん描いています。
6月16日(日)まで開催しています。お見逃しなく。

次回はどこに行きましょうか?お楽しみに!

くらべる探検隊1号 T.Y

<参考資料>
・Wikipedia「浅草橋」
・季刊旅ムック.com
・横浜国道事務所HP

 

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