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ガス灯を探しに行こう! 第1回 横浜のガス灯

テーマ:     公開日:2021年03月12日

横浜・馬車道のガス灯から始まった、ガス事業

だんだんと夕暮れの時間が遅くなってきていますが、日没に合わせ街に灯る街灯の中に、現在でもガス灯が建っていることをご存じでしょうか?
今回街中に灯り、私たちを照らしてくれる各地のガス灯を紹介していきたいと思います。

歌川国松 横浜名勝競
 伊勢山下瓦斯本局雪中の一覧
明治13年(1880)

【横浜関内のガス灯】
明治5年(1872年)9月29日(新暦10月31日)に日本最初のガス事業は横浜で誕生しました。横浜の実業家である高島嘉右衛門とお雇い外国人技術者のアンリ・プレグランにより、関内の馬車道から県庁前にかけてガス街灯が建てられ、ガスの炎による光で街は照らし出されました。

当日は朝から関係者の喜びと緊張のなか、県庁前のガス灯の試験点灯をおこないますが点灯せず、アンリ・プレグランは慌てますが、午後2時頃に点灯を確認すると安堵したことが、後に高島嘉右衛門の回想で紹介されています。
明治5年(1872)10月末には約100基、明治5年(1872)末には約300基のガス灯が横浜の街を照らしました。
元々ガス灯の設置を希望していたのは外国人居留地の住人でしたが、契約に手間取りますが、明治7年(1874)12月24日に居留地を含め、約500基のガス灯が横浜の街を照らしました。
その後横浜のガス事業は高島嘉右衛門の手を離れ、明治25年(1892)に横浜市瓦斯局となると経営が安定しました。

やがてガスの利用方法が灯りから熱源向けに変わっていくなか、街中に建つガス灯は関東大震災や戦争により、横浜の街から消えてしまいました。

戦後昭和34年(1959)横浜関内に、保管されていた明治5年(1872)の灯柱を利用してガス灯が再び点灯しますが、ガス事業誕生100年にあたる昭和47年(1972)にガスミュージアムへ寄贈移設されました。

その後昭和60年(1985)に山下公園通りに40基のガス灯が復活しました。
さらに平成14年(2002)に馬車道通りにアーケイド型をはじめとした60基のガス灯が設置されると、平成24年(2012)に万国橋通り沿いに18基、令和元年(2019)に海岸通り沿いに31基とその数を増やし、現在では馬車道通りから山下公園通りにかけて、約150基のガス灯を見ることが出来ますので、夕暮れ時に関内の駅から山下公園まで散策をしてみてはいかがでしょうか?

馬車道通りに灯るガス灯


海岸通りに建つガス灯

馬車道通りアーケードのガス灯

ガス灯の構造図

当時のガス灯のデザインは2種類あり、一つが2年後の東京銀座通りにも灯る、上部にガス灯メンテランスのためはしごをかけるためにも活用された、「カンザシ」と呼ぶ装飾があるシンプルなデザインのガス灯。
もう一つはカンザシがなくアカンサス文様のデザインがある、ガスミュージアムで展示しているガス灯です。

※アカンサス文様
アカンサスとは地中海沿岸原産の多年草で、特徴的なギザギザの切り込みが入った葉は文様化され、ギリシャ時代より建物の柱の飾りなどで使われていました。
現在でもヨーロッパの代表的な装飾模様として親しまれています。

移設後の横浜のガス灯


ミュージアム館庭にともるガス灯

ガスミージアムへ寄贈移設されたガス灯は、現在は誕生当初のガス灯の明かりを紹介するため、裸火のガスの炎を灯して来館者の方を迎えてくれています。

今回の執筆者:Y T

 

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