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東京の街~くらべる探検隊~ 第18回「江戸・東京の四塔を振り返る」

テーマ:     公開日:2024年10月25日

江戸から明治へと時代が変わる東京の街では、街並みや人々の生活をはじめ、さまざまなものが変わりました。
その中でも幕府の庇護を受けていた神社仏閣は大きな変革をせまられました。
そのような中、江戸時代に建立され明治と時代が変わり東京と呼ばれるようになった街でも、変わらずそびえて
いた四基の五重塔は、東京の名所の一部として人々の注目を集め続けました。

今回は、江戸から東京へと変わった街中に、変わらずそびえていた四基の五重塔を紹介したいと思います。

浅草寺五重塔

明治初めに浅草寺にそびえていた五重塔は、三代将軍徳川家光により慶安元年(1648)に再建されたものです。
高さは33m、浅草寺本堂を正面に見て手前の東側にそびえていました。
浅草寺が明治時代となっても変わらず人々で賑わうと、東京の名所として境内風景のひとつとして、多くの錦絵に描かれます。

東京名勝浅草観音之図 歌川国輝(三代) 明治25年(1892)


紹介する錦絵は赤一色に彩られた作品で、浅草寺本堂や仁王門、五重塔といった建造物だけでなく、遠方に見える空一面までが赤色で描かれ、非常に刺激的な表現の作品です。
大正12年(1923)の関東大震災で浅草の街は大きな被害を受けますが、五重塔をはじめ、本堂や仁王門などの境内の多くの建造物は被害も免れました。しかし昭和20年(1945)の東京大空襲の火災で、境内の多くの建造物は焼失し、その中には浅草寺五重塔も含まれていました。

浅草寺五重塔跡

現在の浅草寺五重塔

                         
その後浅草の街と共に浅草寺が復興する中、昭和48年(1973)に再建されたのが現在の五重塔になります。場所は本堂手前の西側にそびえており、旧五重塔跡には境内に礎石が残っています。

谷中天王寺五重塔

現在の谷中天王寺は、かつては感応寺と呼ばれる日蓮宗の寺院でしたが、元禄11年(1698)に江戸幕府より改宗を命ぜられて、存続のため天台宗寺院へと変わり、天保4年(1833)には名前も天王寺へと改称します。
寛政3年(1791)に再建された五重塔は、戊辰戦争のひとつ、上野戦争で本堂が焼失すなどの被害を受けるなか、被害を免れました。総けやき造りの高さは34.18mあった塔は、当時関東一高い塔でした。明治41年(1908)には東京都(当時は市)へ寄贈され、関東大震災や東京大空襲でも変わらぬ姿を残していましたが、昭和32年(1957)に放火のため焼失してしまいました。
現在は礎石が在りし日の姿を偲ばせてくれますが、明治に記録された塔の実測図面が残っており、再建もできるといわれています。

東京真画名所図解 谷中天王寺       
井上安治 明治14-22年(1881-1889)

大正初め頃の天王寺五重塔

現在の天王寺五重塔跡

芝増上寺五重塔

四塔の内で最も記録が少ないのが増上寺五重塔になります。
増上寺は上野寛永寺と共に、徳川将軍家の菩提寺として幕府の庇護を受けていましたが、明治維新後は敷地の一部を公園として提供するなど、寺院の維持のため苦労を強いられました。
本堂より南西の高台にあった五重塔は、本堂から少し離れていたこともあったためか、増上寺を描いた錦絵などでは、江戸時代だけでなく明治以降もその姿が取り上げられることはあまりありませんでした。
そのような中で、芝増上寺五重塔を描いた作品を残したのが、ノエル・ヌエットになります。作品「東京風景 芝古川」は、芝金杉橋より古川の川上方向を描いており、その先の高台の上に立つ、昭和初めの芝増上寺五重塔の姿を見ることができます。

東京風景 芝古川
ノエル・ヌエット 昭和11年(1936)


現在の増上寺五重塔跡附近

しかしこの塔は10年あまり後の昭和20年(1945)の戦災で焼失してしまい、戦後塔のあった場所は公園の指定を解除されて民有地となります。その後塔のあった場所を含む高台の西側は大きく削り取られて痕跡も残っておらず、四塔の内で最も忘れ去られてしまっている塔になります。

上野寛永寺五重塔

戊辰戦争のひとつ、上野戦争で被害を受けた上野寛永寺は、本堂をはじめとした多くの建物が被害を受け、明治6年(1873)にはかつての境内の多くが公園として、寛永寺より切り放されます。
上野戦争のなか辛うじて残った建造物のひとつに、上野五重塔があります。
現在の建造物は寛永16年(1639)に再建されたもので、寛永寺と同じ上野の山にある上野東照宮の一部として、境内に建てられた五重塔です。
明治になり廃仏毀釈運動が起きると、五重塔は仏教施設であることから、神社所有のものは次々と破棄されました。当時の上野東照宮の住職は一計を案じ、五重塔は寛永寺所有のものと主張することで破棄を免れました。
明治以降は寛永寺が管理する五重塔として関東大震災、戦災を乗り越えて上野の山に姿を留めていましたが、昭和33年(1958)に東京都へ寄付されました。

 東京風景 上野公園          
ノエル・ヌエット 昭和11年(1936)

大正初め頃の上野五重塔

現在の上野五重塔

現在は上野動物園の敷地内に含まれ、間近で五重塔の姿を見るためには動物園に入園をする必要があります。高さは約32mあり、塔の初層には四方に4体の仏像が奉られていましたが、現在仏像は東京国立博物館に寄託されています。
四塔のなかで唯一、江戸時代からの姿を伝えてくれる五重塔になります。

現在上野五重塔は上野動物園の敷地内にあるため、近くで見学をする場合は上野動物園に入園する必要があります。暑さも落ちついてきましたので、動物園の見学も一緒に楽しんではいかがでしょうか?

くらべる探検隊4号  Y.T

 

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