ガスミュージアムブログ
東京の街~くらべる探検隊~ 第13回「築地居留地」
今回は、築地に行ってみましょう♪築地というと皆さんは何をイメージされますか?今は豊洲に移転してしまいましたが、旧東京都中央卸売市場や築地本願寺を思い浮かべる方が多いと思います。
では、築地に「外国人居留地」があったことはご存知でしょうか?
築地地域は、幕末、隅田川沿いに町人地があるのみで、そのほとんどは武家屋敷でした。
明治維新後、武家屋敷は処分され、明治元年、明石町一帯に外国人居留地が設定され、築地居留地となります。他の横浜、長崎、神戸、新潟、大阪(開市場から開港場に改められる)は開港場であったのに対して、築地居留地は港の無い、開市場として開設されました。
居留地に近接する南西側の地域、現在の国立がんセンターから移転前の東京都中央卸売市場にかけてのあたりは海軍の施設となりました。
明治5年(1872)に新橋・横浜間に鉄道が開通すると、貿易に携わる多くの外国人は横浜に拠点を置き、必要なときは鉄道を利用して東京に出かけて活動することが多くなりました。一方、築地居留地には、文化や教育に関わる外国人が多く居留したため、教会や学校、病院、外国公使館が設けられ、文化や教育の発信地となりました。
こちらの地図の黄色で囲まれたエリアが、「外国人居留地」になります。周辺の名所も記しています。
当時の築地居留地の付近の様子を描いた錦絵はこちらです。
この錦絵はもともと6枚続きの作品ですが、上記は右側部分3枚です。築地地区は、江戸初期には鉄砲の形をした洲だったので、鉄砲洲と名付けられた場所でした。
錦絵をみると、ホテルを始めとして、居留地内の税関にあたる運上所や住宅、外国人目当ての日本人商店、さらには遊郭もあったことがわかります。
右上に大きく描かれている塔のある建物が、「築地ホテル館」です。築地ホテル館は、築地居留地開設に備えて、外国人専用の宿泊施設として幕府より計画され、基本設計はアメリカ人建築家、ブリッジェンスが行い、清水建設の創業2代目の棟梁である清水喜助が建設を請け負いました。
建物は、鐘楼が掲げられ、ベランダの付いた木造2階建てで、内部には家具や暖炉を備えていました。たちまち東京の新名所となりましたが、経営不振で閉鎖、再開を繰り返す中、明治5年(1872)2月の銀座大火で焼失してしまいました。
築地ホテル館があったのは、築地駅から歩いてすぐ、東京卸売市場の立体駐車場があった周辺です。
近くに「軍艦操練所跡」の案内板があり、この跡地には築地ホテルが建てられました、と記載がありました。
*軍艦操練所(海軍兵学校)・・・・勝海舟がつくった我が国最初の海軍士官養成所
外国人居留地の様子を描いた、他の作品も見てみましょう。
洋館が立ち並び、外国の国旗がたなびいていたり、運上所には日の丸が掲げられ、洋装の女性なども描かれてますね。
明石橋の名称が入った錦絵がいくつかありますが、明石橋はかつて築地川に架かる橋でした。
築地川が隅田川に注ぐ河口地点に延宝8年(1680)に架橋されました。当時東京湾の海風に曝されることから「寒橋」(さむさばし)ともいわれたそうです。
明石橋は江戸時代を通じ、昭和46年(1971)まで鉄砲洲屋敷から築地へ入る海岸通りの重要な橋として、長い歴史を刻んできた橋でした。
現在の明石町には築地川公園がありました。かつては築地川があった名残りですね。
うしろに見えるのは、聖路加国際病院です。
こちらは、昭和7年(1932)の明石町、築地川周辺の写真です。
聖路加国際病院の近くに築地川が流れていたのがわかりますね。
現在、明石町を代表する建物といえば、100年の歴史を誇る聖路加国際病院です。
聖路加国際病院の創立者は、アメリカの宣教医師、ルドルフ・ボウリング・トイスラーです。
トイスラー院長は、明治33年(1900)に来日以来、昭和9年(1934)に亡くなるまで、一生をかけて日本人のために築地の地で近代病院の建設に奔走しました。居留地に住んだ多くの外国人の中で最大の功労者のひとりといえます。
こちらが現在の聖路加国際病院です。昭和7年(1932)に竣工した現在の建物は、チェコ人で日本の近代建築史に大きな足跡を残した、アントニン・レーモンドによって設計されたものです。十字架のある尖塔をシンボルにしたネオゴシック様式の建物で、装飾は昭和初期の風情を醸し出すアールデコ調です。
病院内には、聖ルカ礼拝堂もありました。現在は工事のため、仮設の礼拝堂になっていました。建物は近年、礼拝堂のある尖塔部分を残して改築されています。
トイスラー記念館も病院のとなりにありました。
築地外国人居留地は、横浜の居留地が商人中心だったのに対して、東京におけるキリスト教宣教の場となり、ミッションスクール発祥の地となり、医療の場となりました。
こちらは、現在の築地カトリック教会です。
築地カトリック教会は、居留地を代表する築地天主堂として、その偉容を誇っていた教会ですが、
関東大震災で崩壊全焼し、昭和の初めに再建されました
現在は昔に比べると小規模になりましたが、東京では珍しいギリシャ神殿様式の教会として中央区の文化財になっています。聖路加国際病院と並んで、居留地時代を偲ぶ貴重な存在になっています。外国人居留地の残り香を感じる築地の欧風建物を見て廻るのも楽しいですね。
築地は、ミッションスクールの発祥の地としても有名です。築地で生まれたミッションスクールについても見て行きましょう。
現在東京にあるキリスト教系の学校の多くが、築地居留地を発祥の地としています。
首都東京の布教を足場と考えた外国のミッションは多くの宣教師を築地に送り込み、明治6年、キリスト教禁制の高礼が撤去されるまで、ささやかに家塾を開設し、布教の機会をうかがいました。そして、禁制が解けた後、キリスト教系の学校が次々に生まれました。
そのミッションスクールの始まりは、明治3年(1870)、築地居留地に開設されたA六番女学校です。これが現在の女子学院ですが、横浜のフェリス女学院とともに日本で一番最初の女学校です。
聖路加国際病院の敷地内に、女子学院発祥の記念碑がありました。
他にもたくさん記念碑がありました。
最後は明石町のガス灯についてご紹介しましょう。
昭和33年(1958)、明石町のガス灯の柱部分が3本発見されました。
こちらがそのひとつ、中央区立明石小学校前にあるガス灯です。
残念ながら、ガスで点灯はしていませんが、柱の部分は当時使用されたものだそうです。
近くにある案内板によると、
「このガス街灯の柱は、コリント風の様式で上部にある左右20センチメートルの腕金や下部に施された帯状の繰り形など、特徴的な装飾が見られる鋳鉄製の柱です。照明ランプ部分は、電気灯として使用されていたランプを修復した上で後年に取り付けられたものです。柱部分は形状や材料などから判断して、明治末年頃のガス街灯のものであると推定されます。明治情緒を偲ばせるガス街灯の柱からは、文明開化の象徴として輝いていた頃の様子が想像されます。」
平成25年3月 中央区教育委員会
そして、ガス灯の横にある煉瓦についての説明もありました。
<居留地時代のレンガ塀遺構>
右にあるレンガは、イギリス積みで積まれた築地外国人居留地時代のレンガ塀遺構の一部です。明治期に居留地の52番(明治11年~32年:聖パウロ教会)と42番(明治9年~22年:新栄女学校、明治28年~32年:東京中学院)の地境に建てられて以降、関東大震災や空襲による戦禍を免れ、現在の明石町一番二十三号と明石町十五番(明石小学校)の地境に当たる場所に残されてきました。
このレンガは、平成二十四年七月に竣工した明石小学校の整備にあわせてここに移設したもので、明治期の当地域に外国人居留地があったことを物語る貴重な遺構として保存しました。
本当に貴重な煉瓦ですね。
そして、明石小学校から少し歩いて行くと、もうひとつガス灯をマンションの前で発見しました!
おとなりには、「ガス街灯柱」の案内板がありました。
「 これは、ガス灯を点灯するための街灯柱です。柱頭、柱身、基部の部分からなっています
柱頭のランプ部分は、新たに復元しました。この街灯柱は、以前この場所にあった 中央区立第二中学校に設置されていました。
また、基部の台座も学校の階段の石(白御影石)が使われています。 平成16年3月。 」
このガス灯も、ガスでは点灯してないようです。
そして、残りの1本ですが、なんとガスミュージアムにあるのです!
100年以上の歴史を超えて生き抜いてきたと思うと感慨深いですね。
これから、どんどん日が短くなりますので、ガス灯を見るにはとても良い季節になります。
是非、築地外国人居留地に思いを馳せ、「明石町のガス灯」を観に足をお運びください。
今回は、築地居留地をご紹介しました。学校、教会、病院の他にも近代産業の発祥などたくさんのモノが築地で始まっています。是非、みなさんもおでかけください♪
くらべる探検隊1号(T.Y)
<参考文献>
・中央区立郷土天文館 第6回特別展図録「甦る文明開化~日本橋・銀座・築地~」
・東京はじめて物語 銀座・築地・明石町 清水正雄 (株)六花社
・東京築地居留地百話 清水正雄 (株)冬青社
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