ガスミュージアムブログ
ガス灯を探しに行こう!第10回 番外編 フォトジェニックなガス灯を探しに金沢の旅
今回は、東京を離れ、北陸新幹線ですっかり身近になった金沢まで、フォトジェニックなガス灯
を探しに行く旅です。
JR東京駅から新幹線に乗り、約3時間でJR金沢駅に着きます。金沢駅東口のバスターミナルから、
路線バスで最初の目的地ひがし茶屋街を目指します。ひがし茶屋街はバスターミナルから約10分の
バス停橋場町から徒歩5分のところにあります。
加賀百万石の城下町金沢は、江戸情緒を残す町並みが美しいところ。中でもひがし茶屋街は平成13年(2001年)、そして浅野川大橋を挟んで対岸の主計町(かずえまち)茶屋街は、古い伝統が息づく街並みが国に認められ、平成20年(2008年)に重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。そのエリアの建物と街路や街灯も含めた地区の街並み景観が、後世に残す文化として大切に保存されています。
金沢市では、平成元年(1989年)に茶屋街の道路の修景工事を始めます。その内容は、路面を石貼りにし、電線を地中に埋めて、街灯を電灯からガス灯に交換するというものでした。
今回ご紹介する茶屋街は、文政3年(1820年)に加賀藩が各地に分散していた茶屋街を集約し、町割りしたのが始まりといわれています。それが、犀川(さいがわ)の西岸の「にし茶屋街」と浅野川東岸の「ひがし茶屋街」です。さらに浅野川西岸には、「主計町茶屋街」がありますが、こちらは、ずっと後の明治2年(1869年)になってできました。街のはじまりこそ違いはありますが、戦火を免れたことは共通しており、全国でも数少ない江戸や明治の茶屋街の風情をいまなお残しています。
さて、金沢でフォトジェニックなガス灯の撮れる街のおすすめスポットは、前述のひがし茶屋街も含めて、この3か所です。
1.ひがし茶屋街
2.主計町茶屋街
3.にし茶屋街
夕方5時にお店が閉まると、それまでの人込みがうそのように静まります。
ひがし茶屋街とは浅野川を挟んで対岸に位置する主計町茶屋街。
奥に見えるのが、国の登録有形文化財である浅野川大橋です。
ここでは、浅野川に映るガス灯のあかり、また川の両岸の桜並木越しのガス灯もきれいな写真が撮れそうです。
この大きな枝ぶりから、春満開の桜とガス灯も見応えがありそうです。
主計町茶屋街の町屋を入れて撮ってみました。一本裏通りに入ると、三味線の音が聞こえてきました。
早朝に訪れてみると、まだガス灯が灯っていました。その景色は凛としていて、清々しい緊張感がありました。
金沢の茶屋街の町屋の特徴としては、切妻造の建物の1階に、街路に面して出格子を構えています。さらに2階に座敷があることから、2階部分の階高が高くなっているところが特徴です。
通りの建物高さも2階建てで揃っているため、軒のラインがきれいに連なっています。軒下にも庇があり、ガス灯の頭部はその庇よりも高い位置になります。
ほんのりと庇の上方からガス灯があたりを照らし、柔らかな陰影の街並みが写真を味わいのあるものにしてくれます。ガラスに反射するガス灯は華やかさも加えてくれます。
実は、こちらの茶屋街のガス灯は、平成に入ってから復刻されたものです。
平成元年にスタートした街路の修景工事の一貫で、平成5年(1993年)には、主計町茶屋街そして同年ひがし茶屋街の街灯が電灯からガス灯に交換されました。一旦は電灯に変わっていた街灯がこの時ガス灯として復刻になり、夜の茶屋街を照らすあかりになりました。
今では、60基ほどが街に復刻されているようです。
金沢の街は、歴史的には、藩政時代に軍事的、政治的、さらに商業の中心としても栄えていましたが、明治に入ると一時衰退の憂き目にあいます。人口は、明治20年には10万を割り、明治30年の8万人まで減少しましたが、明治後期から「軍都」として復活します。
明治31年、金沢城址に陸軍第九師団司令部が設置されたことで、金沢に、第九師団の将兵とその家族2万人以上が住むことになりました。明治31年には、北陸鉄道も開通し、私鉄七尾鉄道、軽便鉄道なども続々と開通したことで、金沢は地域の交通の要としても重要性を増し、明治中期まで減少していた人口は回復していきます。
大正9年には人口20万人の都市にまで再び成長します。
このような街の発展のさなか、金沢市のガス灯が初めて灯ったのは明治41年(1908年)です。明治から大正への街の発展とともに、ガス事業も誕生し発展していくことになります。しかしその興隆もつかの間、電灯の台頭により次第にガス灯は姿を消していきました。
金沢のガス事業の始まりの場所を探してみましょう。
その歴史を記したものが、尾張町にありました。
金沢で初めてガス灯がともったのが、この尾張町です。このあたりは、藩政時代に栄えた一角です。ガス灯の左脇には「里程元標」があり、金沢が北国街道の基点であったことを示しています。案内板には「明治41年(1908年)11月市内で最初にガスが供給された尾張町」とありました。
このガス灯が復刻された昭和60年以降、前述のように、平成の初期からの街の歴史的景観の整備とともにガス灯も街に復刻されていきます。
そして、現在のフォトジェニックなガス灯と茶屋街が調和する美しい景観が生まれていったのです。
ところでこのガス灯ですが、当時のものを復刻したものと聞いていると、西茶屋街の金沢市西茶屋資料館の方から
伺いました。
なるほどガス灯頭部は茶屋街のものは、今回見たものすべて四角形なのに対して、こちらは六角形です。さらに
灯柱のアカンサス模様も緻密に彫られていてデザインが凝っています。
ガス灯頭部の上のほうに見える白くて丸いものがマントルです。マントルとはガスの発光体で、木綿や絹の布で
できた袋に発光剤をしみこませて乾燥させたものです。こちらは、明治の中期以降によくみられる下向きで、
その数は4個でした。
ガス灯のメンテナンスは年4回。手入れが行き届いているからこそ、こんなアップの写真も美しいですね。
尾張町のガス灯の灯柱。繊細な彫刻の様子。茶屋街の灯柱のすっきりしたデザインと比べるとこだわりが
感じられます。
そろそろ旅も終盤になりました。最後に金沢まで来たならおすすめの、いにしえを体験できる近場の温泉を
ご紹介します。
1300年の歴史ある温泉地、加賀の名湯山代温泉です。金沢からは在来特急で30分ほどの加賀温泉。そこから
バスに乗り、20分ほどで山代温泉に着きます。
この温泉地の中心に位置するのが、「古総湯」です。「総湯」とは、誰でも気軽に毎日楽しめる共同浴場
のことと案内にありました。2010年に、明治時代にあった共同浴場を忠実に再現したのが、この「古総湯」
です。ここでは建物だけでなく入浴方法も明治時代を体験できます。お風呂にはカランも石鹸もありません。
訪ねたのは平日なのもあり、古総湯のお客様は数えるほど。独り占めの温泉で、聞こえてくるのは源泉が
湯船に注ぐかすかな音だけ。少し熱めの透明なお湯にギヤマンの色が映りこみます。
明治時代にもこんなきれいなステンドグラスがあったとは、驚きです。これは、ギヤマンといって当時
造られていたステンドグラスです。
金沢市内の尾山神社でも同様のステンドグラスを見つけました。
温泉で体の芯まで温まったあとは、名物の温泉たまごソフトクリームをいただきました。
あまじょっぱいソースが、温泉玉子とクリームによく合い、温まった体にしみました。
心もお腹も満たされたところで、そろそろ金沢の旅もおわりです。
今回は、古都金沢のフォトジェニックなガス灯を探しに、街を巡りました。江戸から明治の風情を残す茶屋街と、明治の近代化の象徴が織りなすハーモニーが、とても印象的でした。
皆様はいかがでしたでしょうか?
機会があれば、ぜひ金沢の夕刻の茶屋街にも、足を運んでみてください。
次回はふたたび東京の街からお届けします。どうぞお楽しみに。
担当 〔C.T.〕
今回ご協力いただいた方
金沢市企業局 維持管理課 西さま
金沢市役所 歴史都市推進課 小坂さま
加賀山代温泉財産区管理会 事務局長 谷口さま
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