ガスミュージアムブログ
ガス灯を探しに行こう!第9回 湯島天神のガス灯
今回の「ガス灯を探しに行こう!」は、湯島天神を訪れます。
湯島天神といえば、学問の神様である菅原道真公が祭られていることで有名ですね。
受験シーズンともなれば、多くの受験生やご家族の方が、志望校合格の成就を願ってお参りしています。
それぞれの思いが詰まった祈願の絵馬も、鈴なりになるほど奉納されていますね。
神社の正式名称は、平成12年(2000年)に「湯島天満宮」と定められていますが、多くの人に「湯島天神」と呼ばれて親しまれており、神社の公式サイトでも湯島天神と表記されていますので、本稿では、通称の湯島天神を用いてご紹介したいと思います。
湯島天神は、雄略天皇2年(458年)に、雄略天皇の勅命によって創建されたと伝えられる神社で、御祭神として「天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)」を祀ったのが始まりです。
その後、正平10年(1355年)に「菅原道真公(すがわらみちざねこう)」が合祀され、2つの神様が祀られた神社です。
「天之手力雄命」は、天上界でもっとも手の力が強い男という名前の神です。
天岩戸の扉を開けてアマテラス大神の手を引いて導き出し、この世に太陽の光を復活させた神様です。力強くたくましい姿ゆえ昔から人気があり、日本各地の神楽で登場し、力と技芸の神格を持つことから、勝運、強運、スポーツ必勝・上達や技芸上達にご利益があります。
「菅原道真公」は、「天神様」「天神さん」とも呼ばれ、学問や受験合格の神さまとして親しまれています。学問・文筆の神として、天神信仰は広く浸透しており、菅原道真公を祭神とする天満宮・北野神社・菅原神社・天神社は全国に一万社以上あります。その代表的な天満宮のひとつが、湯島天神です。
ですので、湯島天神は、天之手力雄命の「勝運・強運」と、菅原道真公の「学問・合格」という、2つのご利益を持っている神社なのですね。
さて、本題の湯島天神のガス灯を探しに行きましょう。
現在の湯島天神には、ガス灯が1基、男坂を上がった鳥居の傍らに立っています。
このガス灯は、昭和56年(1981年)に復刻されたものです。
明治時代の中頃、おそらく明治20年代に、湯島天神の境内には、男坂の周辺に6基のガス灯が建てられました。
明治23年(1890年)8月に、湯島天神の境内は、浅草の浅草寺などともに、公園として指定され、東京市の所属になっています。この頃、東京の主だった寺社が公園として市の所属になり整備されていたようで、湯島天神もそのひとつでした。
明治23年には、浅草寺に35基のガス灯が建てられたという記録が残っていることから、湯島天神のガス灯も同じ時期に、公園の街灯として整備されたのではないかと考えられます。
残念ながら、湯島天神のガス灯の建設記録は見つかっていませんが、明治26年(1893年)5月に、湯島公園のガス灯は、東京市から本郷区へ払い下げられており、その時の記録に「6基払い下げ」と記されていることから、おそらくガス灯は6基であったと思われます。
男坂付近に建てられたガス灯は、月日を経て、昭和40年(1965年)頃まで、石段を上がった鳥居のところの1基だけ、柱脚が残っていました。その柱脚を東京ガスが譲り受けて、現在は、ガスミュージアムで、そのオリジナル柱脚のガス灯を点灯し、展示しています。
この明治時代のオリジナルの柱脚は、明治5年(1872年)横浜、ならびに明治7年(1874年)銀座に初めて灯ったガス灯と、同じデザインとなっています。
細身で縦模様のすっきりとしたシルエットのガス灯で、とても繊細な意匠です。まさに、明治初期の文明開化を象徴するガス灯のデザインを踏襲した、貴重なものです。
この明治12年(1879年)の錦絵に描かれているように、銀座通りのガス灯と同じデザインであることが分かります。
こちらの版画は、明治30年(1897年)に描かれたものです。
当時の湯島天神の境内の様子がよくわかりますね。
男坂を上がったところの鳥居の部分を拡大すると、鳥居の奥の左手に、ガス灯が描かれているのがわかります。
このガス灯が、現在、ガスミュージアムで点灯しているガス灯の柱脚、ということになります。
歴史を超えて、人々に希望の明かりを灯していたガス灯ですので、ぜひガスミュージアムで、間近にその姿を見ていただければと思います。
そして、湯島天神にお参りに行かれた際には、ぜひ男坂の上にある復刻のガス灯もご覧いただき、ガスの炎の輝きを、勝運・勝負運、学業成就・受験合格のエネルギーにしていただければと思います。
男坂の段上から望むと眺望が開けます。
明治のころは、眼下に不忍池が一望でき、上野の山の清水堂、寛永寺の大伽藍、さらには谷中あたりまで望むことができたそうです。
男坂を見上げています。この傍らにガス灯が灯っていたと思われます。
こちらは女坂を見上げたところです。緩やかな勾配で、男坂の段上につながっています。
女坂の段上から見下ろした眺めです。
女坂にもガス灯が立っていたと思われます。
明治の頃には、湯島天神下の遠くから、ガス灯のあかりが輝いている様が望めたことでしょう。
続いて、湯島天神の境内と周辺の見どころをご紹介したいと思います。
まず、表の参道正面に建つのが「表鳥居」です。この鳥居は銅製で、寛文7年(1667年)頃に寄進された物です。都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く貴重な鳥居です。
そして、社殿です。
現在の社殿は、平成7年(1995年)に建てられた総檜造りの木造建物で、ご本殿と、参拝する人のための拝殿が幣殿で結ばれている、「権現造り」と呼ばれる建築様式となっています。木材は、樹齢二百五十年といわれる木曽檜を使用しているそうです。
また、湯島天神の参拝時にぜひ立ち寄っていただきたいのが、「戸隠神社」と「撫で牛」です。
戸隠神社は本殿の裏手になりますが、御祭神である「天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)」を祀った神社です。勝運・勝負運のご利益を持つ神様なので、忘れずに参拝しておきたいですね。
「撫で牛」は、菅原道真公が牛を愛しんでいたことに由来する像です。自分の体の体調が悪いところを撫でると、ご利益でよくなると言われています。撫で牛は、社殿に向かって左手の手水舎のまわりに2頭、静かに参拝者を見守るように鎮座しています。
(※残念ながら、現在は、コロナ感染予防のため、直接触れることはできません。)
また、早春の季節には、ぜひ「梅園」にも足を運んでください。
湯島天神の梅は、江戸時代より「梅の名所」として親しまれており、毎年3月ごろには、香り豊かな梅の花が、境内を埋め尽くします。
もし、散策を楽しみたいようであれば、日本の学問の最高府、東京大学のキャンパスに足を延ばしてみるのもよいかもしれません。
次世代の日本を担う人材が集う、学び舎の空気に触れられます。
湯島天神からは、春日通りの切通しの坂をのぼって右手、徒歩5分くらいで東京大学龍岡門につきます。
湯島天神の街に戻って、男坂、女坂を下ったふもとは、江戸、明治のころから栄えた天神下の街となります。
この一角にある、縄のれんの居酒屋「シンスケ」は、升酒屋(酒屋)として江戸後期の創業。
7代目まで商いを続けるも、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊し、大正13年(1924年)に酒場「シンスケ」として再出発し、当代亭主は4代目にあたる(家業11代目)老舗です。
いまでは珍しくなった、瓶ビールと日本酒が主軸のオールド東京スタイル酒場として有名です。
軒先に杉玉が吊るされた店構えが、歴史と情緒を醸し出しています。
お参りしたあとは、天神下にある老舗で、合格祈念の盃を交わすのもよいかもしれませんね。
ぜひ一献いかがですか。
今回の「ガス灯を探しに行こう!」は、湯島天神のガス灯をご紹介しました。
受験生の皆さま、明日の夢の実現に向け、ぜひ体調に気をつけて頑張ってください。
ガス灯の輝きが、皆様の希望にあかりを灯す一助になれば幸いです。
担当 [Y.A.]
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