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ガス灯を探しに行こう! 第8回 ガス灯発祥の地 横浜本町小学校

テーマ:     公開日:2021年10月28日

みなさん今月10月は、文明開化にちなんださまざまな記念日が数多くあることはご存じでしょうか?

10月 9日は、万国郵便連合が発足した「世界郵便の日」
10月14日は、新橋~横浜間で鉄道が開業した「鉄道の日」
10月17日は、横浜で日本初の近代的な水道の使用が始まった「近代水道創設記念日」
10月21日は、アメリカの発明王エジソンが白熱電球を完成したことにちなむ「あかりの日」
10月23日は、東京~横浜間に日本初の公衆電信線の架設工事が始められた「電信電話記念日」
そして10月31日は、横浜の馬車道に初めてガス灯が灯った「ガスの記念日」です。

明治5年(1872) 9月29日(新暦10月31日)は、現在の横浜関内の馬車道通りから本町通りをへて県庁までガス灯が灯り、日本最初のガス事業が誕生した日になります。

絵入名所 改正横浜新図 明治23年(1890)


この地図は現在の横浜桜木町から関内の、明治23年(1890)頃の様子が記されています。
灰色の部分がかつての横浜駅で、現在の桜木町駅付近になります。地図の中央よりすこし左寄りには、縦に馬車道通りが、途中左へ直角に曲がり県庁前まで続く本町通りが記されています。
左下の赤い○で囲まれた場所に日本最初のガス会社のガス製造工場があります。

歌川国松 横浜名所競 伊勢山下瓦斯本局雪中の一覧 明治13年(1880)


上の錦絵は伊勢山下のガス製造工場の姿が描かれています。
明治5年(1872)に工場で製造されたガスは、錦絵にも描かれているガス橋を渡り、駅の脇を通り、馬車道へと続くガス管で市内に届けられました。さらに本町通りをへて、神奈川県庁前までガス管が埋設されていました。このルートに日本で初めてガス灯が灯り、その後明治7年(1874)末には、外国人居留地もあわせて、約500基あまりのガス灯が横浜の街を照らしていました。
しかし関東大震災、戦災で被害を受けたガス灯はその姿を減らしてゆき、戦後はガス灯のあかりは街頭よりすべて途絶えてしまいます。
伊勢山下のガス製造工場は、大正12年(1923)の関東大震災でガスホルダーが被害を受けたため、震災復興で廃止され、翌年小学校が移転してきました。現在の横浜市立本町小学校(以下、本町小学校)です。
昭和33年(1958)の横浜開港100年記念事業として、日本のガス事業発祥の地である本町小学校の敷地へ、横浜市により昭和34年(1959)にガス灯と記念碑が建立落成しました。落成式は市役所や商工会議所のかたが来賓され、盛大に執り行われました。

本町小学校前のガス灯と記念碑


設置されたガス灯は、頭部が4面をガラスに覆われ、その下には、矢印にも似た「カンザシ」(ガス灯メンテランスのためハシゴを掛けるのに活用)あり、すらっとした灯柱には、単純化された草花模様が浮き彫りでほどこされています。

本町小学校前のガス灯頭部


本町小学校前のガス灯のカンザシ部分


本町小学校前のガス灯の柱の模様


本町小学校と同じデザインのガス灯は、現在では馬車道十番館前でも見ることができます。

馬車道十番館前のガス灯


横浜の文明開化の頃を偲ぶ建物として、昭和45年(1970)に建設された馬車道十番館の建物には、オーナーの意向にあわせて、本町小学校前のガス灯を複製した3基のガス灯が設置されました。
ガス灯発祥の地、横浜の市民の思いは、その後徐々に形となってゆきます。
「横浜にふさわしいガス灯を復元しよう」という市民の声に応えて、横浜関内の通りに本格的にガス灯が復活したのは、昭和60年(1985)の山下公園通りの40基からでした。山下公園通りのガス灯の灯柱のデザインは、横浜の街の風景を記録した、明治時代の錦絵や写真に描かれているガス灯を元に再現した灯柱です。

山下公園通りのガス灯


歌川広重(三代)横浜郵便局開業之図
 明治8年(1875) 部分


平成14年(2002)には、ガス灯が最初に灯った通りである馬車道の商店街の方々が、通りを整備するにあたり、街灯を「本物の文化を後世に伝えるにはガス灯を設置してはどうか」と考えました。整備された馬車道通りには、3基のアーケイド型を含めて60基のガス灯が商店街の手により設置され、通りを照らすことになりました。
さらに横浜市では、ガス灯発祥の地として、横浜の新たな魅力ある景観の形成と回遊性の強化、都心部の活性化を図るため、地元商店街等と連携して、馬車道から山下公園までの一連のガス灯整備を推進してゆきました。
平成24年(2012)に万国橋通りへ18基、令和元年(2019)には海岸通りに31基のガス灯が設置され、今では馬車道通りから山下公園通りまで、合計149基のガス灯が連なる姿を見ることができるようになりました。

横浜海岸通りのガス灯


横浜都市発展記念館には、明治5年(1872)当初のオリジナルのガス灯が収蔵されています。このガス灯のデザインは、明治時代に東京の銀座通りに設置されていたガス灯と、灯柱のデザインが同じです。
現在、館庭では、収蔵品を元に頭部を含め当時の姿を忠実に復刻したガス灯も見ることができます

横浜都市発展記念中庭のガス灯


現在の本町小学校前のガス灯ですが、小学校の改修に伴い記念碑は生まれ変わっているものの、ガス灯は変わらず設置当初の姿のまま建っています。残念ながら訪問した今月は、夜になっても点灯していませんでした。
灯っていた頃の姿は、馬車道十番館前で見ることができますので、ぜひご覧下さい。
文明開化の横浜に思いをめぐらせながら、またガス灯復活への横浜市民の思いを感じながら、伊勢山下の本町小学校から馬車道通り、そして海岸通りから山下公園通りへと続くガス灯をめぐってみてはいかがでしょうか?
さまざまなガス灯が輝く、薄暮の頃がおすすめですよ。

点灯する馬車道十番館前のガス灯


点灯する馬車道通りのアーケイドのガス灯


点灯する旧横浜正金銀行本店本館前のガス灯


点灯する山下公園前のガス灯


今回の執筆者:YT

 

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