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東京の街 ~くらべる探検隊~ 第3回「上野公園」

テーマ:     公開日:2021年06月04日

東京の街の「今」と「昔」を“くらべる探検隊” 第3回目は「上野公園」です。

皆さんは、上野公園と聞くと何を思い浮かべますか?
今までは、テレビでお花見の場所取りや大宴会の様子が繰り返し報道されていたので、
お花見のイメージが強いかもしれませんね。
広大な敷地に点在する動物園・博物館・美術館・音楽ホール等も有名です。

そして、江戸時代からのいろいろな証もたくさん残っています。

まずは、歌川広重の浮世絵に描かれている「寛永寺 清水観音堂」に行ってみました。
「名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池 上野山内月のまつ」(国立国会図書館蔵)

清水観音堂は、江戸時代の寛永8年(1631)に京都の清水寺を模して建立されました。
有名な「月の松」は、明治初期の台風で消失しているので、
現在の「月の松」は2012年12月に約150年ぶりに復活したものです。
浮世絵で見ていたせいか「月の松」は昔からずっとそこにあったような気がしていたのですが、
それは私の思い違いでした!復活してまだ10年足らずだったのですね。

「月の松」から向こう側に、不忍池の弁天堂が見えます。
くるりと丸く造形されたこの枝は、足立区の造園職人さんの手によるもの。
この技術を持つ職人さんはわずかなのだそうですよ。

さて、続いて上野東照宮へ向かいます。

上野東照宮は徳川家康(東照大権現)を神様として祀っており、
遠く日光東照宮までお参りに行けない江戸の人々のために、寛永4年(1627)に創建されました。

上野東照宮に向かって左右に三基ずつ灯籠が並んでいます。
これは、家康公三十六回忌の慶安4年(1651)に徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)から奉納されたもので、
上野東照宮とともに重要文化財に指定されています。

実は、今回のお目当ては五重塔でした。ノエル・ヌエットが描いた五重塔と現在をくらべるためです。
五重塔は上野東照宮に向かうこの参道の途中、右側にあります。

上野東照宮から五重塔エリアへはこの黒い柵で仕切られていて入れません。
柵の向こう側は上野動物園の敷地で、残念ながら上野動物園が休園中のため中に入って写真を撮ることは出来ませんでした。
なぜ柵で仕切られているのでしょうか?この謎については・・・後述します!
下の写真は、黒い柵の隙間からカメラを差し込んで撮ったものです。  

ノエル・ヌエット「上野公園」昭和11年(1936)

ノエル・ヌエットの木版画は、ガスミュージアムでも多数収蔵しており、
令和元年(2019)に開催された企画展「ノエル・ヌエット没後40年」には、多くの方にご来館いただきました。
ノエル・ヌエットは、大正15年(1926)に来日し、昭和37年(1962)にフランスへ帰国するまでの
30年以上もの間、フランス語の教鞭をとるかたわら、戦前戦後の東京の街を歩いて多くのスケッチを残しました。
そのスケッチは鉛筆ではなく万年筆が用いられており、木版にする際、
その繊細な線を再現するのが難しかったそうです。
「東京風景」シリーズでは、高速道路が空を横切る前の日本橋や赤坂見附の弁慶橋など、
同じ場所の「昔」と「今」の変化を実感することが出来ます。

さて、上野東照宮と五重塔の間を仕切る柵については、この看板の解説を読んで謎が解けました!

要約すると・・・明治初めの神仏分離令によって全国の神社所有の五重塔が破壊される出来事がありました。
その中で、上野東照宮の宮司は、「五重塔は、上野東照宮ではなく寛永寺の所属である」と国に申し出て取り壊しを免れました。
この五重塔は、江戸初期の建築様式を伝える優れた建築の1つとして、明治44年(1911)国の重要文化財に指定されています。
その後の関東大震災でも倒壊せず、戦火も免れました。
寛永寺の所属となったものの寺からは距離があり管理が難しいことから昭和33年(1958)に東京都に寄付されました。ということで、機転をきかせて保存に尽力された当時の宮司さんに本当に感謝です!

上野動物園は明治15年(1882)に開園しているので、
動物園開園時に東照宮との境界線には柵が出来たのでしょう。
万が一、檻から逃げた動物が敷地外へ出てしまったら大変ですから。
その後、上野公園と上野動物園は大正13年(1924)に皇太子殿下〈昭和天皇〉ご成婚を記念して、東京市へ下賜されています。

今回、調べてわかったことがたくさんありました。こうして、何度か行って知っているつもりの場所でも、
視点を変えて改めて見てみるとおもしろい発見がたくさんあるものですね。

ノエル・ヌエットをもう一作ご紹介します。「不忍池」昭和11年(1936)

写真は、ノエル・ヌエットのスケッチの場所とは少し位置が違いますが、
不忍池のほとりということでご容赦ください。
不忍池のほとりには、駅伝の始まりを伝えるこんな記念碑もあります。

さて、最後に歌川広重(三代)の錦絵をご紹介しましょう。
 「東京花名所 した谷 不忍池蓮花盛」明治12年(1879)

下の写真は撮影時、令和3年(2021)4月で、このように不忍池の水面が見えていますが、
これから夏に向かって蓮の葉や花がどんどん広がり、水面が埋め尽くされていきます。

次の写真は、令和2年(2020)7月23日に撮影した蓮の花です。
今年は全般的に花の開花が早いようですが、どうなりますでしょうか。
不忍池一面に広がる蓮花の眺めは壮観です。一見の価値がありますよ。

普段、上野の博物館や美術館に行くことがあっても、終わったらそのまま帰る方が多いと思います。
ちょっと足を延ばして上野公園をぐるりと散策してみてはいかがでしょうか。新しい発見があるかもしれません。

くらべる探検隊3号 E☆H

 

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